お坊さんて、手を合わすイメージがあるよね。
みんなも神社やお寺に行ったら、両方の手のひらを合わせるよね。どうして手のひらを合わせるのかなあ?
「思いやり」を表現しているからだよ。
思いやりって?
「相手のことを敬うこと」だよ。
それだけなの?
うん。それだけ。
両手を合わすことに、ごちゃごちゃした意味はないんだよ。
両手を合わす合掌は敬いの作法
手を合わすことを、合掌というんだ。
掌は「手のひら」の意味。手をにぎった時に、内側になる方。
合掌は2500年ほど昔の、インドという国で、すでにあったんだ。
仏教のお経には、仏さまを敬うときに、合掌の言葉がでてくるよ。
両手を合わすことは、仏さまのような、尊い存在への敬いの作法なんだ。
お坊さんが手を合わすのはパフォーマンス
お坊さんは手を合わすよね。あれも敬いなの?
いいや。あれはパフォーマンスだよ。
さっきも言ったけど、手を合わすのは、敬いなんだ。
笑いながらや誇らし気そうな顔をしながら、相手を敬うことをしないでしょう。
日本のあいさつは、頭を下げるお辞儀。
あいさつする時に、手を合わすお坊さんは、ただのパフォーマンスだよ。
仏教の合掌は、相手への思いやり
仏教のふるさとインドでは、手を合わす合掌が、日常のあいさつで使われているよ。
手を合わす姿は、相手を尊敬していることや思いやる心を表すんだ。
日本のお坊さんも、仏さまに向かって、手を合わすよ。
これはただのパフォーマンスじゃないよ。
仏さまの言葉に、「仏仏想念」があるんだ。
仏さまの世界は、お互いのことを思いやり、尊敬しているんだよ。
お坊さんはそれをマネして、仏さまに対して手を合わして、敬っているんだ。
お願いごとの意味はない
手を合わすことの意味をふり返るね。
でもみんな思い出してみて。
なんとなく、手を合わすよね。
仏さまに手を合わすのも、仏さまへの敬いであって、お願いをするためのポーズじゃないんだ。
食事の「いただきます」も考えてみよう。
いのちに対する敬いから、手を合わしているんだ。
ぼく一人の力では、手に入れることができないものがあるよね。
食べ物にだって、草木や生き物の命があった。その命を殺した。運び、料理して、食べる。
殺した命にお返しすることはできない。ぼくたちは、代わりに死んでくれた命に対して、敬うことしかできないんだ。
「ありがとう」と敬い、「いのちをいただく」感謝をするために手を合わすんだよ。
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